死にたいと思ってもあきらめないで、誰かが手を差しのべてくれるものです

死にたいと思ってもあきらめないで、誰かが手を差しのべてくれるものです

 死について初めて考えたのは38歳の時です。ある日突然左の手足が動かなくなり、病院に行って精密検査を受けたところ頸椎の3,4,5番目の辺りの脊髄が変形していて神経を圧迫しているための症状で、手術しか治す方法は無いと言われました。早速入院し頸椎の手術に備えることにしました。主治医の先生からの説明は、頸椎の3つの後ろの突起を削って平らにし、それぞれの骨を切り開いて脊髄の圧迫部分を開放してやる術式で、手術の時間が長時間に渡るのもさることながら、難易度の高い手術で100%成功するとは断言は出来ませんとはっきり言われました。
 しかしながら回復する方法がこれしかないということなので、正直死を覚悟して手術を承諾したのです。手術当日、ストレッチャーに乗せられ家族に見送られながら手術室に向かっている時、家族の顔を名残惜しく見た記憶が今でも鮮明に残っています。手術室に入り手術台に仰向けになって「これから麻酔をします。」という言葉を聞いたのが最後で、次に気がついた時はベッドの上でした。「○○さん、分かりますか。私の手を握って見てください。」という先生の声が聞こえました。「ああ生きていたんだ。」無意識のうちに手を握ろうとするのですが、力が入っているかどうかわかりませんでした。そのため手術をしたら不自由な手足が直ぐにでも治るものと思い込んでいた私はがっかりしてしまいました。
 「○○さん、直ぐに治るものではありません。これからリハビリをして段々直してきましょうね。」と私の気持ちを見透かしたように先生が言いました。それから3週間、私は首が動かないようにベッドに固定され、洗面、食事、着替えとも全て寝たまま行いました。そして3週間後、いよいよベッドから起き上がれる日がやって来ました。先生と看護師さんがやって来られて、電動ベッドをゆっくり起こします。半分程度起きた時でしょうか、突然クラクラっと目まいがして思わず戻しそうになりました。「しばらく寝たきりだったので、慣れるまで目まいがします。」とのことでした。
 何日かして目まいもしなくなり、いよいよベッドを出て歩いてみることになりました。首を固定するための装具を付けた後、そっと立ち上がり杖をついて歩こうとしました。ところが思うように歩けないのです。先生が「○○さんの場合は脊髄の変形期間が相当長期に渡っていたので、そう簡単に元には戻らないと思います。時間をかけて直して行きましょう。」とのこと、「えー、話が違うのでは。」と思いましたが、どうにもなりません。とにかく治りたい一心でリハビリを一生懸命やりました。でも結局入院期間中、退院後も元のように歩いたりつかんだりすることは出来ませんでした。
 仕事を休職してから1年半は傷病手当金でどうにか生活は出来ますが、問題はその後仕事が出来ないと家族はどうなるのか、そう思ったら保険金のことがチラっと頭をよぎりました。もし自分が死んだら家族にマンションと保険金が残せる、それで生活が出来るのではないかその時は本当にそう考えました。
 今思えば笑い話のようですが、その後障害者年金を受給、傷病手当金終了後は失業保険を1年受給、そしてその後は障害者に理解のある会社に就職し、何とか子供達を育てることが出来ました。世の中何とかなるものです。死にたいと思ってもあきらめないでください。誰かが手を差しのべてくれるものです。