死に対して興味があるからといって病んでいるわけではない

死に対して興味があるからといって病んでいるわけではない

昔から私は死ぬことに対してものすごく興味があります。
死んだらどうなるんだろう?という純然たる興味です。
小学生の頃に落書き帳を持たされたことがある人はいるでしょうか。私の学校では、それを持たされ、私は6年生まで好んでそれを使っていました。
それを見返したとき、小学校3年生の頃の落書き帳の中に、死んだらどうなるんだろう?ということを純粋な疑問として言っている少女の絵を描かれているのを見ました。
絵を描いてから、その言葉を絵の少女に言わせてから、もう何年も経ちましたが、疑問は解決されないままです。
だからこそ、私は死ぬことに対して興味がありすぎて死んでみたいとSNSで零したり、友人と話していて話題に上げたりすることもあります。
しかしそれを聞いたり見たりした人間から言われるのはほぼ確実に同じ一言です。
「大丈夫?」
いやいや、何1つとして大丈夫じゃないところはないぞと私は思うのですが、死んでみたいの一言はそれほど衝撃のある一言のようです。
別に仕事や対人関係が上手くいかないから死にたいと言っているわけでもないのに、心配されるというのは、死にたいという一言にそれほどの威力があるからなのでしょう。
しかし考えてもみてください、臨死体験の記事が読まれたり、そういった本が書かれたり、死にかけた人間の体験談のようなテレビが放映されたり、そういったことがあるということは、つまりは死に対しての興味がある人間が、結構な人数いるということではないのでしょうか。
他人の言ったことが信じられないというわけでもないのですが、本当に自分もそうなるのだろうかと思っても不思議ではないはずだと思うのです。
例えば先祖の姿が見えたという話。
私は母方の祖母以外の姿を全く知りません。
それでも父方の祖父母や、母方の祖父の姿が見えるのだろうか。それともやはり、自分の中で死んだと思ったから、死んだ人物の姿が夢のように頭の中に浮かぶというだけなのだろうか。そういったことが疑問として頭の中に浮かぶのです。
他にも死んだ後にはどうなってしまうのだろうかという疑問があります。
幽霊という存在があると言われたり、天国や地獄という存在があると言われたり、前世というものがあると言われたり、死んだ後があるように言われます。
その一方で死んだら無に還るのだと言われもします。
どちらが正しいのかは死んだ人間にしかわかりません。
自殺した人間はこの世に未練があるから残ると言われるけれど、この世に未練も何もなく興味だけで死んでしまったら、本当に幽霊になるのだろうか。
自殺をしたら天国には行けないと言われるが、本当だろうか。地獄に行ったとしても、どういった罪で咎められるのだろうか。
死んだ後に覚えていられないとしても、今の自分のように自分というものが新たに生まれるのだろうか。
無に還るとしたら、眠るときのようなものなのだろうか。
疑問は湧くばかりで尽きません。
こういった興味だけで死にたいと思う人間はいるのです。
今すぐ死ななくても良いかと思うから、死にたいと言いつつ死なないだけで。
このような人間が私だけではないと思うので、死んでみたい、死にたいと言ったとしても、今すぐ死にたいのかと思って心配する必要もないんじゃないかなぁと私は思います。