大好きな祖父

私の大好きな祖父が亡くなった時の話です。
母方の祖父母は隣の県に住んでおり、連休や長期休みのたびに泊まりに行っていました。いつも私と母を待ってくれていて、頑固で厳しいところもありましたが頼りになる祖父でした。
もともと消化器官が悪く、若い時から何度か入院していましたが80歳を過ぎたあたりで大腸がんを患ってしまいました。年齢のこともありましたが本人の希望で手術を行い、がんのほとんどを取り除きましたが完全に取れた保証はなく、在宅にて投薬での治療を続けることとなりました。退院してからは今までと変わりなく、車を運転して私を駅まで迎えに来てくれたり一緒に買い物に出かけるといった、がんを発症する前と変わらない生活を送っていました。
その生活は亡くなる3か月ほど前まで続いていましたが、急に体調が悪くなりベッドから起き上がれなくなってしまいました。今まで元気で何も変わりなく生活していたのに、ぐったりとして話すのもやっとになってしまった姿に驚き、悲しむばかりでした。基本的に祖母がつきっきりで看病していたのですが、祖母は祖父と同い年で高齢のため体力に限界があります。そのため近くに住んでいる叔父夫婦がこまめに手伝いに行き、母は仕事の合間を縫って月に1度は実家に帰って祖父の介護をしていました。そのような生活も長くは続かず、84歳を迎える前に祖父は亡くなってしまいました。本人の希望で、どんなに体調が悪化しても入院せず家で最期を迎えられたことは本当に良かったようでした。
小さいころからもう一人の父親のような存在で、常に私の見方でいてくれた祖父を失い、私はとても悲しみ落ち込みましたが、祖母が感じたことはその日ではなかったように思います。青春時代から一緒に過ごし、70年近く一緒に過ごしたパートナーを失ったのです。祖父の亡骸に涙を流しながら触れ、「本当に眠ってるみたいね…ねぇ、起きて」と声をかけていました。母は私の前では涙を流しませんでしたが、母もとても悲しかったと思います。祖父母の家で遺品整理が行われた後、祖母の一人暮らしが始まりました。
母はとても心配していたようですが、仕事をしている上に電車で片道2時間以上かかる場所であるため、こまめに祖母に会うことができません。週に1度は叔父が様子を見に行っているようでしたが、祖母は落ち込んでいる日々が続き、デイサービスやリハビリにもいかなくなってしまいました。少しでも祖母が一人でいる時間を減らそうと、今まで私と母は一緒に祖母の家に行っていましたが、わざと日程をずらして行くようにしました。泊まりに行くといつも夜遅くまで話し続け「修学旅行みたいだね、お前が来てくれるとよく眠れるよ」と喜んでいました。
祖父の死から3年が経ちますが、祖母は少しずつ元気になっているようです。私に子供が生まれ、ひ孫が増えたことで「ひ孫の成長が見たいから、まだ頑張って生きないとね」といった前向きな発言が増えました。祖父の死は、私・母・祖母の生活・精神に大きな影響を残しましたが、親戚みんなで祖母を支えていこうと思っています。

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大好きだった母が亡くなった時に痛感した思い

母は私が二十歳の時にがんで亡くなりました。
約二年間の闘病生活でした。
働き者で体も丈夫だった母が、がんだと知らされた時、こんな恐ろしい病気が自分たち家族の身に降りかかるなんてとても信じられない思いでした。
当時、高校を卒業して姉のいる地方の都市で一緒に暮らし始めた矢先の出来事でした。

病院で検査を受けるため父に連れ添われて来た母は、痛みを和らげるために患部にアイスノンを当て、苦渋の表情を浮かべていました。
そんな母は、ほんの1ヶ月ほど前に様子を見にやって来てくれた時の母とはまるで別人のようでした。
その時に私の好物のお赤飯を炊いてきてくれた母の様子からは、病気の気配を感じ取る事は出来ませんでした。
しかし、今こうして苦しんでいる母を見ると、その時すでに何らかの自覚症状を感じていたのではないかと思いました。
検査の結果、入院手術となり、末期の状態ではありましたが無事手術を終え、約三ヶ月ほどで退院しました。
退院当時は元気な様子の母でしたが、1年後に再発、その後入退院を繰り返し亡くなりました。

母が亡くなる前日、それまで朦朧としていた意識がはっきりとして、久しぶりに会話する事ができました。
明るくユーモアに溢れていた母らしく、冗談を言って姉と私を笑わせてくれました。
しかし、それが逆に母を苦しめる事になりました。
はっきりした意識の母に襲いかかる痛みは激しく、苦しみもがく母を見て、もう早く楽にさせてあげたいと願うばかりでした。
やがて母の意識が薄らいできて、看護師さんがベットを倒した時に、母の手が柵に挟まってしまいました。
きれいだった母の手は、それまで見た事も無いほどにパンパンに浮腫みあがり、挟まれても何の反応もしませんでした。
その時、あぁ、お母さん死んじゃうんだな、と思いました。
夜が明けて、医師から臨終の時が知らされました。
亡くなった実感がまだ無かったせいか悲しみよりは、これでもう苦しまなくて済む、痛みから解放される、と安堵の気持ちの方が大きかったです。

母の葬儀を田舎で行うために、やらなくてはいけない事がたくさんありました。
父が母に付き添い車で、姉と私と伯母の三人はバスで帰る事になり、途中の百貨店で初めての喪服を買いました。
バスで約3時間、実家に着くと母はすでに布団に寝かされていました。
顔には白布、体に刃物がのせられていました。
胸の上で組まされた手はまだ柔らかく、指が上手く絡めないでいました。
その日は大勢の人達が、一晩中起きてお線香を絶やさないでいてくれました。
寝ている母の姿を見ても、もうこの世にいないという実感はまだわきませんでした。
しかし、横たわっているその体からは、今まで母だと感じさせてくれていた何かが無くなっているように感じました。
病院にいた時はまだ、お母さんだったものが今は何か違う空っぽな感じがしたのです。
焼き場に行く日は日差しが眩しいほどの快晴でした。
手術の日は台風、亡くなった日は猛吹雪と雨女だった母にしては、らしくないお天気だね、と姉と2人で笑いました。

地元に残っている友人や恩師も来てくれて、何かと忙しくあまり感傷に浸る暇がなかったせいか、初七日の法要を済ませ自宅に戻り、いつもの生活に戻ってからの方が、いろいろな思いに駆られるようになってきました。
もう少し気を付けてあげていれば、何とかできたんじゃないか、我慢強い母の事だから、父に相談した時にはかなり悪い状態だったのだろう、と後悔ばかりがわいてきました。
なにか美味しい物を食べれば、お母さんにも食べさせたい、楽しいものを見れば、お母さんにも見せてあげたいといった具合に、一日中何かにつけ母の事を考えていました。

幼少期は病弱だったせいもあり、末っ子らしく甘えん坊だった私はお母さんっ子でした。
ケンカもたくさんしましたが、大好きな母でした。
でも、母に再び会う事は叶いません。
その時、人が死ぬと言う事は、もう二度と会えない事なのだと痛感しました。
もしも母が生きていて、遠く離れた北極や南極、例え地球の裏側や辺境の地にいたとしても、私はどんな事をしても会いに行くでしょう。
でも、死んでしまったらそれはもう叶わない、どこにも母はいないのです。
死んだらもう会えない、そんな当たり前な子供でも分かるような事が、私はちゃんと分かっていなかったのです。

今、私は母の亡くなった時よりも年上になってしまいました。
自分の人生を終え、もしも母に会う事ができたなら、そんな年上の私を見て母がどんな事を言うかを楽しみに、残りの時間を後悔なく過ごしたいと思っています。

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もっと話しておけばよかった

母方の祖母、祖父、父方の祖父を亡くしましたが、なんとも思いませんでした。自分で病気を悪化させて亡くなったり、老衰で亡くなったり、様々な理由での別れでした。小さい頃かなり世話にはなったと思いますが人間いつかはいなくなるものだし 、それほど親密だったわけでもなく、亡くなってしまったがほんの少し残念な程度で泣き出すほど悲しくもありませんでした。「もっとああしておけばよかった」とか「もっと会いに行けばよかった」とかそのような後悔も全くありませんでした。元々身内にすら希薄なタイプなのでそのように思ったのかもしれません。一番の原因は過去に見たある夢だと思います。その夢とは父方の祖父が亡くなるという夢でした。夢の中で「もっと話しておけばよかった、もっと親切にすればよかった」と思ったのですが、その夢を見た時自分は大学生で、祖父はすでに認知症に加えて介護が必要なレベルで、その夢を見たからといって自分ができることは何一つありませんでした。今から介護を手伝っても、祖父は何も感じないし何も覚えていてくれない。本当に自分が祖父にできることがなかったのです。それ以来、身内が亡くなっても葬儀中には少しの悲しみ、といってもその場の雰囲気に呑まれたような悲しみが一瞬あるだけであとは早く葬儀終わらないかな、火葬場での待ち時間暇だなー程度にしか思いませんでした。自分でも非情だと思います。でも人と親密な関係を望まない性格なので仕方ないのだと思っています。誰かがいなくなると安心します。ので父や母がなくなっても何の後悔も悲しみも抱かない、ただ葬儀が手間だなーくらいにしか感じないと思います。職場の人が急性の病気で亡くなったこともありましたが、やはりなんの悲しみもありませんでした。きっとずっとこんな感じにしか思わないのだと思います。しかし周りはそうは思わないので、周りの悲しんでいる人を刺激しないよう心がけ、葬儀でも冷静な自分だからこそできることをしました。おそらく自分のような性格のタイプは出会った時からいつ別れても心に響かないのだと思います。最初からお別れの準備ができているのです。自分でも良くない性格だとは思います。でもだからこそ一緒にいられる今を大事にして後悔のないよう、常に最善の対処を心がけています。自分だっていつ何が起きて死ぬのかわかりません。だからこそ常に後悔しないように最善を尽くしています。最善を尽くしすぎて自分のキャパシティを超えそうになって壊れかけそうにもなりますが、のちに後悔するかしないか、今できることはなんなのか、それを考えて行動するよう心がけていると気が楽になります。後悔も残りにくいです。これからもそのスタイルを貫くつもりです。

死に対して興味があるからといって病んでいるわけではない

死に対して興味があるからといって病んでいるわけではない

昔から私は死ぬことに対してものすごく興味があります。
死んだらどうなるんだろう?という純然たる興味です。
小学生の頃に落書き帳を持たされたことがある人はいるでしょうか。私の学校では、それを持たされ、私は6年生まで好んでそれを使っていました。
それを見返したとき、小学校3年生の頃の落書き帳の中に、死んだらどうなるんだろう?ということを純粋な疑問として言っている少女の絵を描かれているのを見ました。
絵を描いてから、その言葉を絵の少女に言わせてから、もう何年も経ちましたが、疑問は解決されないままです。
だからこそ、私は死ぬことに対して興味がありすぎて死んでみたいとSNSで零したり、友人と話していて話題に上げたりすることもあります。
しかしそれを聞いたり見たりした人間から言われるのはほぼ確実に同じ一言です。
「大丈夫?」
いやいや、何1つとして大丈夫じゃないところはないぞと私は思うのですが、死んでみたいの一言はそれほど衝撃のある一言のようです。
別に仕事や対人関係が上手くいかないから死にたいと言っているわけでもないのに、心配されるというのは、死にたいという一言にそれほどの威力があるからなのでしょう。
しかし考えてもみてください、臨死体験の記事が読まれたり、そういった本が書かれたり、死にかけた人間の体験談のようなテレビが放映されたり、そういったことがあるということは、つまりは死に対しての興味がある人間が、結構な人数いるということではないのでしょうか。
他人の言ったことが信じられないというわけでもないのですが、本当に自分もそうなるのだろうかと思っても不思議ではないはずだと思うのです。
例えば先祖の姿が見えたという話。
私は母方の祖母以外の姿を全く知りません。
それでも父方の祖父母や、母方の祖父の姿が見えるのだろうか。それともやはり、自分の中で死んだと思ったから、死んだ人物の姿が夢のように頭の中に浮かぶというだけなのだろうか。そういったことが疑問として頭の中に浮かぶのです。
他にも死んだ後にはどうなってしまうのだろうかという疑問があります。
幽霊という存在があると言われたり、天国や地獄という存在があると言われたり、前世というものがあると言われたり、死んだ後があるように言われます。
その一方で死んだら無に還るのだと言われもします。
どちらが正しいのかは死んだ人間にしかわかりません。
自殺した人間はこの世に未練があるから残ると言われるけれど、この世に未練も何もなく興味だけで死んでしまったら、本当に幽霊になるのだろうか。
自殺をしたら天国には行けないと言われるが、本当だろうか。地獄に行ったとしても、どういった罪で咎められるのだろうか。
死んだ後に覚えていられないとしても、今の自分のように自分というものが新たに生まれるのだろうか。
無に還るとしたら、眠るときのようなものなのだろうか。
疑問は湧くばかりで尽きません。
こういった興味だけで死にたいと思う人間はいるのです。
今すぐ死ななくても良いかと思うから、死にたいと言いつつ死なないだけで。
このような人間が私だけではないと思うので、死んでみたい、死にたいと言ったとしても、今すぐ死にたいのかと思って心配する必要もないんじゃないかなぁと私は思います。

もし死んだらどう感じるの?死後の世界は存在するの?誰もが感じたことがある疑問まとめ

もし死んだらどう感じるの?死後の世界は存在するの?誰もが感じたことがある疑問まとめ

 誰もが考えたことがある、自分が死んだらどうなるのか?という疑問。
人によって考えがバラバラだと思いますが自分自身がどんな時に思ったのか、死んだ感覚としてどのようになるのか独自で感じたものを紹介していこうと思います。
死を考えてしまうときというのは、大抵落ち込んだ時だと思います。友達、職場関係などに傷がつくと自然と思ってしまいますよね。自分自身もそうです、仕事のミスで死んで逃げてしまいたい、リセットしたいなど誰もが考えたことがあると思います。逆にとても幸せの時、ずっとこの幸せが続けばいいのにと思う瞬間がありますよね。その時に死んだらこの記憶はすべてなくなってしまうのかという不安感に襲われます。誰もが一度は感じる感覚だと思います。
 もし死んだら自分の意識はどうなるのかという疑問が多いです。しかし、古来から死後の世界があり魂はその世界に還ると伝えられています。誰もが天国、地獄があり良い行いをした人は天国へ、罪をおかした人は地獄へ世界中がこの考えに固まっています。日本にも神様が存在し、海外では悪魔も存在すると伝えられています。世界中の人々が死に関して同じような感覚を持っているということになりますね。
死に関して調べていると面白い項目が見つかりました。自殺したものは必ず地獄へ堕ちるという項目です。これは、知っている人、知らない人様々だと思いますがとても面白い項目だと思います。なぜ人を殺していないのに、地獄行きなのと考えている方もいると思います。理由は他人を殺してはいないけど、自分自身を殺している。つまり、人を殺しているとつながるためです。これをなるほどと思いました。生を受けてこの世界で人として生きている自分が自分の手で殺してしまう行為は罪となるのです。なので実際、自殺を考えた人もこの項目をみて自殺が怖くなり、今も頑張っていると聞きますし、自分自身も死について考えた時自殺は嫌だと強く思うようになりました。実際に死んでみないとわからない世界にはなるのですが、こういう話もあるということで胸に留めておいてください。
 実際に病院で死後の世界を見てきたということでニュースになっていますが、あれは本当なのかという疑問です。ある記事で見たのですが数人の物理学者が霊的存在は認めないと語っていたのですが、こういう事例が発生してから認めるようになりました。実験の結果が認めることになったのかはわかりませんが私は脳の幻覚だと思います。なので死後の世界はあると思わないですし、死んだときの感覚は朝目覚めない永遠の睡眠だと考えています。もし、死後の世界があると考えるのであらばこの世界が死後の世界の階級を結びつける牢獄だと思います。

死ぬのは怖くないの?という質問に対して私なりの答え

死ぬのは怖くないの?という質問に対して私なりの答え

死ぬことは怖いか怖くないかといわれれば、もちろん誰でも最初は、怖い、死にたくないと答えると思います。私も子供のころは、死ぬのなんて嫌だ!!。一生若いまま生きていたいって真顔で言っていました(笑)。でも最近、長いこと生きてきて(といってもまだ、20代ですが)死についていろいろ考えた時、健康であろうが、病弱であろが、生き続けることのほうが、死ぬことよりも何倍も怖いのではないかと考えるようになりました。
子供の頃は、いつかは自分の命が土に代わって草木の養分になるって親から聞かされても、いまいち実感がわかず、すっごい先のことのように考えてしまっていたんですよね。なぜか自分は根拠無く、大きな怪我や病気もすることもなく、80ぐらいで安らかにいけると(たぶん、僕だけじゃなく、大多数の人にも経験あると思いますが)死ぬことに関して、まるで他人事のように感じてしまうんですよ、若いうちは。でも、当然社会とはそんなに甘いものではなく、体中ぴんぴんしてても、不幸な事故に巻き込まれて命を落とすこともあるだろし、運悪く通り魔や殺人鬼に遭遇し、ブスッと刺されて殺されるかもしれない、突然何の予兆もなく、ガンや難病にかかり、苦しみながら死ぬかもしれない・・。死ぬときって案外いきなり、何の余興もなく、突然来るものなのですよ。今生きている人は、自分には関係ない、自分はまきこまれないって根拠なく、豪語しますけど、そういうのって案外身近にあるもので、しかも襲われるときはほんの一瞬。目が覚めたら、空から自分の遺体を見下ろしてるかもしれない。治安がよく、医療制度も充実している我が日本国においても、何の問題もなく、天寿を全うする人って限りなく少ないんですよ。
でも、だからといって死にたくないから毎日びくびくしながら警戒心強くしながら、長生いしたいかと聞かれたらそれは疑問ですよね。当然、長くいきたいことに変わりはないけど、自分が死ぬ可能性がある選択を切り捨てて行くなんて不可能ですから、そうやって消去法であれもだめ、あそこもいかないってなると、何もできないし、そんな人生楽しくないと思うんですよね。最近の世情がそうで、子供が死んだり、事故を起こす可能性のある遊具や遊びは禁止にしようといって、あれも撤去、これも禁止、これでは子供がかわいそうです。娯楽って危険だから楽しいものだし、仮にそれで命を落としても、不謹慎ですが、楽しいことしながら、死ねるんだからよかったんじゃないの?と思うわけです。
自分、無宗教で、神様もあの世も信じてないんですが、たまにこういう話をすると、宗教を信仰してる人から「あなた、そんなんで、自分が70~80なった時どうするの?」って聞かれるんですよ。どうやら宗教信仰してる人っていうのは、死んだあとも意識があり、ずっと自我が保たれて、肉体のない世界にいけるとおもっているらしいんです。
ですが、これは宗教の死は救いという考え方に矛盾していることになるんですよ。というのも、多くの宗教では、死は救いなりを掲げて、自殺以外の多くの死を肯定しておりますよね。(イスラムの自爆テロよろしく)でも、死は救い=生からの救いと考えるなら、肉体が滅びるだけでなく、精神や自我もなくならないと救いにならないからです。だって体がなくなっても、精神や魂が残ってたら救いにならないじぁないですか。(意識がある限り苦しみがあるわけですから)だから、キリスト教やイスラムの信者で、生から解放されたいっていってる人がいても、あの世とか神の世界とか口にする人は、本当は死ぬのが怖い、まだ生きていたい人なんだなぁと思うようになった。
本当に死にたい人はあの世すら否定すると思いますよ。せっかく楽になれたのに、死んだ後も意識が残っているなんてそれこそ地獄だろうし。僕も自分がなくなる時は、パソコンの充電が切れて画面が真っ暗になるような、コンセントを抜かれて、電源を落とされて動かなくなる液晶テレビとか、そういう最後を迎えたいんですよ。死ぬのって本当の意味ではそういうことなんだと思う。だから僕が、「死ぬのが怖くないんですが?」と聞かれたら、「死んだ後とも意識が残ってる方が怖い。」と答えることにしました。

人間が平等に与えられている結末である「死」について

人間が平等に与えられている結末である「死」について

人間だれもが生まれながらにして決められている運命があります。それが死です。
人間は死ぬことで一生を終えていきますが、生きているうちはあまり死ぬことに関してしっかりと考えないものです。
それはなぜかというと、死にたくないからです。死にたくないから、死ぬことについて考えることを避けてしまうのです。
ですが、私個人の考えとしては定期的に死と向き合う時間は必要であると考えます。
それはなぜかというと、死について考えたらそのあと少しだけあなたの生き方が変わると思うのです。
死と向き合わなければ生と向き合うこともないのです。
一日のうちに少しだけでも、いつ自分が死ぬのかわからないと考えれば、自ずとまわりの人間や自分をより大切に、一秒一秒を大切に生きるだろうと思います。
ただし、死について考えることで悲観的になってしまえば、それはそれで元も子も無くなってしまって逆に精神面に良い影響は与えません。
なので、私は映画や小説、漫画などを通して死について考えるようにしています。
物語の中でなくなっていった登場人物に感情移入していくことで、個人的にはかなり冷静に死と向き合うことが出来ます。
物語ごとの世界観や設定を捉えながら、その世界での生きる理由、生き延びていく理由などを考えたり、その世界で死なないためにどういった生き方をすべきなのかを考えたりすることも多々あります。
また、こういった考察をしていくことで、一つ一つの物語がより一層楽しめます。
そういった理由もあり、私は登場した人物が死んでゆく物語を好んで読んだり見たりしています。
出来る限り自分を死と近づけて、生と向き合い、今日や明日の生き方の質を少しでも高めていくことはとても重要なことだと考えています。
そういった経験をしていると、段々とわざわざ死について考えることがなくても、生について深く考えることができ、将来に対しての考え事や不安などがスムーズに解決されていきます。
また周りの人間に対しても考え方が変わり、より一層、友人や家族を大切に思いながら生きていこうという気持ちになれます。
今日を幸せに生き抜くことで、明日を呼び込んでいく。そんな毎日が続けば日々が幸せに感じるはずですし、周りの人間も幸せに出来るはずです。
そういった理由もあり、私は定期的に常に死に関係している物語を吸収していってます。
死の直前になって、大切なものに気づくのでは、相当な手遅れです。
平凡な毎日の中でも大切な人を思い、元気に生きていくことを私は心がけています。
決して死を考えたりすることはネガティブなことではなく、むしろポジティブにつながるものだと私は考えます。
生きている時が怠慢であると思ったその時に、死について考える。この作業が大切だと私は考えます。

「死にたいと思う人」、「生きたいと思う人」についての私からの観点

「死にたいと思う人」、「生きたいと思う人」についての私からの観点

・死にたいと思う人
  まず、「死にたい」と思う人は、どうして「死にたい」と思ってしまうのか?ということを挙げたいと思います。
私が個人的に調べてみたものですが、例を挙げていきたいと思います。
「いじめられていて誰にも相談することができず、誰にも助けを求めることができずに一人で抱え込んでしまい死にたいと思う人」
「借金が多く、もう返すあてがないのに、取立てが厳しく死んで楽になろうと思う人」
「自分の存在意味がなんなのか?自分は今生きていて、なにか意味があるのか?と思い、死にたいと考える人」
「親に小さい頃から大切にされずに、愛情を感じられずに育ってきて、もう死にたいと思う人」
このような例が多くありました。
死ぬことによって、自分が求めていることは、手に入れられるのでしょうか?
「死ぬ」ということは、「無」ということではないのでしょうか。
死ぬことを考えるよりも、生き抜くためには、どうしたらいいのかを考えるべきだと思います。
私は、小学5年生の時にいじめにあいました。
その当時は、親に言うと親が心配するだろうと思い、家では平然を装い生活していました。
その時、親が優しく接してくると、涙が出そうによくなりました。
しかし、もう死にたいなどは、一切考えたことはありませんでした。
だから、実際に死にたいと考える人の気持ちは完璧に分かるものではありません。
なので、「勝手なことを簡単に言うな」と思われるかもしれません。
しかし、周りをよく見渡してください。私たちの知らないことがたくさんあります。
私の身の回りにもそういった人がいました。その人は、47歳の時「子宮がん」と診断されました。
しかも、最悪にも、発見したときにはすでに、末期でした。長くても、半年もつかどうかという診断でした。
息子の結婚式が一年後に控えていました。その人は、「息子の晴れ姿を見るまでは」と余命よりも半年も長く生きました。
そして、息子の結婚式を終えてから二週間後に他界しました。まだまだ、息子の子供も見たかったはずだと思います。
この話は、私の本当に身近で起きた出来事です。これを聞いて、どう思いましたか?
死にたいと思っている人は、生きたいと思っている人に、「私は~の理由で死にたいと思っています。」と言うことができますか?
なにか一つでも、自分が夢中になれることや、信頼できる人、落ち着ける場所、こういったことを見つけることで、
少しは死にたいと思う気持ちを和らげることができると思います。
最初は「そう簡単に見つかったら、苦労してない。」と思うかもしれませんが、なにか行動しないと始まらないと思います。
死んだ後の世界など、誰にもわかりません。死んだほうが楽だと考えている方も多いと思いますが、
私はそうは思いません。もし、死んだ後の世界に行ったとした時に、今よりも、もっともっと辛く、過酷な世界だったら、どうしますか?
その世界では、もう死ぬこともできずに苦しいだけ、死ななかったよかった、と思っても手遅れだと思いませんか?
それなら、今を必死に生き、今をどう快適に生きていくかを考えていくべきだと思います。
勝手な発言も多いかもしれませんが、これが私の意見です。

死ぬとは、宇宙のエネルギーにかえること。

死ぬとは、宇宙のエネルギーにかえること。

私は子どもの頃からよく寝る前などに、ベッドの中で「死ぬ」ということについて考えていました。
死んだらこの意識はどうなるのか、そもそも生まれてくる前、自分はどこにいたのか。そして、どこからどうやって生まれてきたのか。
考えれば考えるほど怖い気持ちになって、こんなことならいっそ最初から生まれてこなければこんな恐ろしい思いをせずにすんだのに・・と思ったりしていました。
また当時は、親の影響で手塚治虫さんの『火の鳥』を読んでいたせいか、輪廻もなんとなくあると思っており、
永遠に生まれかわるなんてそれこそ何度もつらい経験をしなければいけないので、なんて恐ろしいことだと思っていました。
今はそのころの死生観とは少し違って、死ぬというのは、宇宙にエネルギーとなってかえっていくことなのではないかと考えるようになりました。
そもそも産まれる前のずっとずっと長い間、個人が何かに生まれ変わり続けていたとは私はとても考えられないので、
人は死んだら自分と似た波動やエネルギーを持つ魂と混ざり合い、またらせんのようなものを描きながら宇宙というエネルギー全体を
形作る宇宙の一部になるのではないのかな、と今は思っています。
具体的には、誰かの臨死体験が記憶に残っているのかもしれませんが、死の瞬間が訪れたらまず、最初は目の前がまっくらになると思います。
それからだんだんと光のようなものが見え始め、その光の方へと人は導かれ(ここの光とは朝日のようなイメージです)、
光にあたると同時に、その光の中にその人自身が取り込まれ、溶けていく気がします。
この光に溶けていく、光にかえっていく瞬間は、なんの恐れも痛みもない、至福の瞬間であってほしいと思います。
死んだら自分というものはなくなり、今愛している人達とも逢えなくなると思うとどうしようもなく悲しいですが、
もともとみんな宇宙のエネルギーの一部だとしたら、死んで似た魂の人とは混ざり合うのですからきっと寂しくないはず。
そして、近い魂だからこそ友人や家族としてこの世で会うことができたのではないでしょうか。
マンガ『火の鳥』にもありましたが、永遠に生き続けるなんてそれこそ苦しく孤独なことだと思います。
人よりも早く死ななければならないとしたら、「死」を受け入れるのはとても難しいと思いますが、
老人と言われる年齢まで生きて、子供たちが独立し、愛する人や友人も死んでいく中で迎える「死」だとしたら、
少しは穏やかな気持ちで受け入れられるのではないかと思います。
人間を含め動物には、生きたいという本能的な欲求があると思うので、「死」への恐怖は一生消えないかもしれませんが、
理性の部分では、「死」を受け入れられる、受け入れたいと今の自分は考えています。

死にたいと思ってもあきらめないで、誰かが手を差しのべてくれるものです

死にたいと思ってもあきらめないで、誰かが手を差しのべてくれるものです

 死について初めて考えたのは38歳の時です。ある日突然左の手足が動かなくなり、病院に行って精密検査を受けたところ頸椎の3,4,5番目の辺りの脊髄が変形していて神経を圧迫しているための症状で、手術しか治す方法は無いと言われました。早速入院し頸椎の手術に備えることにしました。主治医の先生からの説明は、頸椎の3つの後ろの突起を削って平らにし、それぞれの骨を切り開いて脊髄の圧迫部分を開放してやる術式で、手術の時間が長時間に渡るのもさることながら、難易度の高い手術で100%成功するとは断言は出来ませんとはっきり言われました。
 しかしながら回復する方法がこれしかないということなので、正直死を覚悟して手術を承諾したのです。手術当日、ストレッチャーに乗せられ家族に見送られながら手術室に向かっている時、家族の顔を名残惜しく見た記憶が今でも鮮明に残っています。手術室に入り手術台に仰向けになって「これから麻酔をします。」という言葉を聞いたのが最後で、次に気がついた時はベッドの上でした。「○○さん、分かりますか。私の手を握って見てください。」という先生の声が聞こえました。「ああ生きていたんだ。」無意識のうちに手を握ろうとするのですが、力が入っているかどうかわかりませんでした。そのため手術をしたら不自由な手足が直ぐにでも治るものと思い込んでいた私はがっかりしてしまいました。
 「○○さん、直ぐに治るものではありません。これからリハビリをして段々直してきましょうね。」と私の気持ちを見透かしたように先生が言いました。それから3週間、私は首が動かないようにベッドに固定され、洗面、食事、着替えとも全て寝たまま行いました。そして3週間後、いよいよベッドから起き上がれる日がやって来ました。先生と看護師さんがやって来られて、電動ベッドをゆっくり起こします。半分程度起きた時でしょうか、突然クラクラっと目まいがして思わず戻しそうになりました。「しばらく寝たきりだったので、慣れるまで目まいがします。」とのことでした。
 何日かして目まいもしなくなり、いよいよベッドを出て歩いてみることになりました。首を固定するための装具を付けた後、そっと立ち上がり杖をついて歩こうとしました。ところが思うように歩けないのです。先生が「○○さんの場合は脊髄の変形期間が相当長期に渡っていたので、そう簡単に元には戻らないと思います。時間をかけて直して行きましょう。」とのこと、「えー、話が違うのでは。」と思いましたが、どうにもなりません。とにかく治りたい一心でリハビリを一生懸命やりました。でも結局入院期間中、退院後も元のように歩いたりつかんだりすることは出来ませんでした。
 仕事を休職してから1年半は傷病手当金でどうにか生活は出来ますが、問題はその後仕事が出来ないと家族はどうなるのか、そう思ったら保険金のことがチラっと頭をよぎりました。もし自分が死んだら家族にマンションと保険金が残せる、それで生活が出来るのではないかその時は本当にそう考えました。
 今思えば笑い話のようですが、その後障害者年金を受給、傷病手当金終了後は失業保険を1年受給、そしてその後は障害者に理解のある会社に就職し、何とか子供達を育てることが出来ました。世の中何とかなるものです。死にたいと思ってもあきらめないでください。誰かが手を差しのべてくれるものです。